どうも。
中越です。
日増しに秋の気配を感じる今日この頃。
如何お過ごしでしょうか。
さて,本日はですね。
あの話題の
「北京故宮 書の名宝展」へ行って参りました。
いやはや僕は感動してしまいましたよ。
過去,ここまでクオリティの高い書道展に足を運んだ事があったでしょうか。
先日,国立新美術館でやっている読売書法展にも行き,読売の先生方の書に感銘を受けた僕ですが,やはりまだまだ日本は中国の書には敵わないのでしょう。
漢字の中国。かなの日本。と云ったところでしょうか。
そして、今日皆さんに知ってほしいのは書道というのは日本ではただ書字の美しさを観る部分に重点が於かれがちですが,
書道というものの成り立ち。
即ち,
時代背景やそこに生きた人物を知ることで書の鑑賞は何倍も面白くなる。というのを是非知って頂きたく思います。
確かに中国の歴史はとてつもなく長いので,学ぶには気の遠くなるような時間が必要ですが
”何故,僕(私)は今書道をするのか”と立ち返った時に,それを紐解き教えてくれるのが歴史というものなのです。
書道の歴史は隆盛を博した”唐”以前と以後とで大きく別れますが,唐以前ではあの有名な書聖
王羲之と,その名声を世に広めた唐の第2代皇帝
大宗の関係はまず外せないでしょう。
唐以後でも,
黄庭堅の生きた”宗”という時代はどんな時代だったのか。なぜ狂草が生まれたのか。
”明”と”清”の両王朝に仕えた
王鐸という人物の心境。
はたまた明の遺民として終生を貫き通した
傅山とは何者か。
日本近代の書に影響を与えた
楊守敬とは。
僕はなんでも突き詰めないと落ち着かない質でして(笑)こういった事が頭に入っていると本当に鑑賞するのが楽しくなります。=(イコール)臨書をするのが楽しくなり=
では,今現在の書道の在り方とは何か。と自分にもう一度問いかけるわけです。
温故知新とはよく言ったもので,古き良きを知り新しいものを発見するわけですね。
表現の形は違えども,根本に根ざす”感動の源”というものは昔からそう変わるわけではないのです。
最後に。
王羲之の代表作
「蘭亭序」より。
雖世殊事異。所以興懐。其致一也。後之攬者。亦將有感於斯文。
訳)
世が異なり,状況が変わっても,感動の源は同じであろう。
後世の読者も,きっとこれらの作品に心を動かしてくれるだろう。
永和九年,西暦353年の事です。
1600年以上経った今も感動の源というのは変わりません。
書の魅力というのは王羲之に始まり,王羲之に帰す。
それに尽きるのかもしれませんね。
さ,今日も頑張りましょう!